一粒の種から
人も企業も、慕われ頼られる存在に、日々成長してゆこう
2001年5月 第94号(有)大阪製作所社内誌

「モノ作りの心」

「わたしが受け継ぎ、伝えるモノ作り屋としての想い」
 
 わたしの
祖父は、満州(今の中国、黒竜江省あたり)で生まれた、と聞きました。
日本に帰ってきて、戦時中は川西航空機で航空機開発のエンジニヤだったと聞いています。
戦後は、大阪で弱電関係の部品加工をしていました。従業員が150名程までになったと聞いていますから、
そこそこの中堅下請け企業になっていたのでしょう。

ところが労働争議で従業員ともめた社内の原因と、不況の影響という社外の原因もあって、
会社を倒産させてしまいました。

祖父からは、戦艦の大砲はどのようにして削ったか? とか、飛行機の羽根の作り方などを聞かされた思い出が残っています。

  わたしの父親(現大阪製作所の会長です)は、最初、ベンチレースという
卓上旋盤一台からの創業でした

農機具の部品加工からスタートし、朝早くから夜遅くまで働いていました。
いつも作業着を着て、朝早くに家を出て、あまり朝ご飯を
一緒に食べた記憶がありません。

夜、お酒を飲んだときに
不渡りを何度か食らった事
悔しそうに話していました。

わたしの幼い頃の遊び場は、工場の中でした。
小学校高学年の夏休みなどは、当然のように家の手伝いをし、製品加工後のバリを取ったり、キリコをどかしたりしていました。
中学校ぐらいでは簡単なバイトぐらいは自分で研いだりしていました。

 わたしの父親、今も現役!
父親から加工のコツや、治具の考え方などを聞いて育ったモノです。

わたし自身は、工業高校の機械科を卒業後、工業大学の経営工学科を出て現在の会社に入社しました。
現在、41才ですが、気づいてみましたら「モノ作り」にはかれこれ
30年以上携わっていることになります。

非常に幸運だったのは、
モノ作りを基礎からきっちりとした形で学べた
ことでした。

日本国内で「モノ作り」を続けて行くことは、これからは本当に大変なのかも知れません。

日本の製造業に未来は有るのか?
  

今、この答えを、私には見つけることはできません。

しかし、私自身が、祖父、父親から受け継いで来た
「モノ作りの心」は大切にしなくてはならないと
感じています。
    
    
今、少年柔道と「遊戯王カードゲーム」に夢中の二人の息子の将来を、
                           楽しみにしつつ、そして、 案じつつ…