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「微細・微小・超精密加工技術」と「大型加工技術」との融和を目指す 大阪製作所
『町工場のオヤジぃ』の独り言
2004年前半


大阪製作所は、アルミ、ステンレス・銅・チタン・コバールなど精密機械部品加工を得意とする
43年の実績を持つ精密加工技術の専門業者です。
  有限会社 大阪製作所
  担当者 後藤良一
  〒581-0853
  大阪府八尾市楽音寺5-137
 
  TEL 0729-41-1813
  FAX 0729-41-8630

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2004年5月20日(木)
切磋琢磨

おそらく後何年か経って、大阪製作所は小さくても本当に強く、従業員のみんなにとって働きがいのある良い会社になっている。

その時に、昨夜みんなで話し合ったミーテイングことは一生忘れられないモノの一つになると思う。



1人の前途有望な青年が、会社を辞めると2日前に電話で言ってきた。
その青年の一言が引き金となって

「何が原因やねん?」 「おまえが悪い。」 「いや、あいつこそが問題や。」
「そこまで言うなら会社を辞めるで・・」 「・・・・・もうあかん」

今まで、押さえられてきたみんなの鬱憤が一度に噴き出した。



午後7時から、幹部が全員集まって話し合いの場を持つことを、・・・決めた。

「この話し合いがきっかけで、これまでの全ての努力が水の泡になるかも知れない・・・」

会議の30分前になって急にそんな不安が胸をよぎった。

その時、大阪製作所の未来を信じながら3年前に亡くなった、最後の”旋盤の渡り職人”藤川さんの言葉を思い出した。

「大丈夫、これから会社は良くなっていくで・・・もう、大丈夫」



夜7時に会議が始まった。

みんなで会社を良くしていくためにはどうすれば良いのかを、それぞれが真剣に話し合った。

お互いが相手の良さを認めながらの、話し合いになった。
会社の悪い体質に対して、意見が出された。

会社の悪い体質のために、辞めたくなくても辞めざる得なかった前途有望な青年に対し誰もが申し訳無いと感じていた。

話し合いが終わったのは夜の10時を回っていた。



翌朝のミーテイングで、昨夜の会議でのことを話している途中、1人幹部の目から涙が止まらなくなった。

幹部の、その涙を見たときに「大丈夫、これから会社はよくなっていくで・・・もう大丈夫」と私は感じた。

おそらく後何年か経って、大阪製作所は小さくても本当に強く、従業員のみんなにとって働きがいのある良い会社になっている。

その時に、昨夜みんなで話し合ったミーテイングの事と、今朝の涙のことは一生忘れないでいよう。



今までの事は全て過去の事なんだ、大阪製作所では、希望の有る未来を築くための”今”を大切にしていく。

全て出来ている奴なんかこの世にいない、誰もがどこか欠けているんや。

謙虚に自分の欠けているところを認めることは怖いかも知れない。
でも、勇気を持って自分の欠点を見つめよう。

そして、見つめた後は欠点なんか気にするな、人間欠けているから伸びるんや!

自分の長所を伸ばすことに全力を尽くして行こう。それぞれのみんなが自分自身を磨き上げて、回りを照らして行こう

それぞれが、自分の弱さを学び、相手の良さを認めて、自分の長所を磨き上げていく。

お互いが「切磋琢磨」を行う事で、お互いの成長を高めてくれるに違いない。


                                        合掌

2004年5月13日(木)
逆流
先日、八尾市のコミュニテイー放送の「FMちゃお」で、『町工場のオヤジぃ』は会社のことや仕事のことをお話しする機会を頂きましたのでご紹介します。

大阪製作所は、八尾市楽音寺と言うところにあります。
八尾市でも山手の方で、すぐ上に大阪経済法科大学があります。

社員15名ほどで半導体製造装置などの精密機械の部品を製造する町工場です。


創業は1959年で八尾の跡部と言うところで、私の父親が始めました。

大阪製作所は現在は、半導体製造装置や医療分析機器などの最先端の分野の精密部品を製造していますが、初めからそうだったわけではありません。

創業の1959年から1980年代までは農機具の部品加工を主体に一般産業機器の部品加工をしていました。

当時の製品は、寸法精度もたいしたことがなく、作り手である我々の「技術」がどうの というよりも、どこでもできる製品だから「価格」さえ安ければそれでいいんだという製品を作っていました。

いくら心を込めても、結局は「なんぼやの?」で終わってしまったり、「よそがこの価格やからもっと値下げてくれ」と言われたり、技術者として悔しい思いを何度もしました。

朝は6時起床、夜は8時9時まで仕事をしていく毎日の中から

「人生の多くの時間を費やす会社。
ならば人と違った自分のもの作りをしてみたい、夢や希望を語れるような会社にしたい」

と強く願うようになりました。


それにはまず勉強だと兄弟で、加工技術に関する書籍は徹底的に買いあさり、それを何度も読むことから始めました。

いつしか、会社の本棚には、大きな本屋さんと同じくらいの多くの本が並んでいきました。

次第にそれでは飽きたらず、書籍に載っているような大学の先生に手紙を出してはお会いして頂きました。

嬉しかったのは、名もない小さな町工場の私にも、お会いして頂けた大学の先生から貴重な意見やアドバイスを頂けた事でした。


そのころ自分たちの夢を会社に掲げました。
ほとんど人に誇れるような技術が確立できていない1987年のことでした。

     ちいさい会社なんですが、
           日本一の技術と真面目さで
                 日本一の品物を作ります

どんなに小さな業界の仕事で有っても良い、「この製品だけは難しくて大阪製作所さんでないと出来ないよ」ってお客さんに行って頂けたらどんなに嬉しいんだろう!

そんな夢を抱きながら看板を現場と食堂に掲げました。


でも、日本一の技術なんて一朝一夕に出来るわけが有りません。

当時は、やはり1個5円とか、3円50銭という単価の部品を100個だけ積んで1時間近くもかけて納品になんども行きました。

夜遅くの納品をしても、出迎えもされなかったり、真心を込めて製品を作っても「その辺に置いといて・・・」と言われたりしました。

自分自身の力の無さに、大阪製作所の技術力の無さに、納品の帰り車の中で悔し涙をなんども流しました。


僕がここを出て行くわけは
誰もが僕の居場所を知ってたからあ・・・
やさしさを敵にまわしてでも
生きてる証しが欲しかった

竹馬で歩く様に今はまだぎこちないが
先ずはここから足を踏み出し あ・・・
飾り言葉を投げ捨てて
「若いくせに!」なんて言わせたくない

奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が他人の生きざま
馬鹿にしようとも 一歩前のこの道を 行かなければ
だって僕は僕を失う為に 生きてきたんじゃない


ひび割れた悲しみに 縛られる前に
コップ一杯の水を飲みほそう あ・・
先ずは喉を うるおして
目の前のいざこざをけちらすんだ

たとえば誰かが さびれたナイフで
僕に軽蔑を突きつけても あ・・・
腰を据えて受けてやる
げんこつひとつで笑えるさ

奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が他人の生きざま
馬鹿にしようとも 一歩前のこの道を 行かなければ
だって僕は僕を失う為に 生きてきたんじゃない



逆流   長渕 剛

そんな納品の帰り道、良く聞いていたのが、長渕剛さんのこの「逆流」と言う唄でした。

今までの自分の父親が進んできた分野ではなく、未来の自分たちが誇りを持って進んでいける分野を目指して、逆らうように歩んでいる当時の自分にとって、長渕剛さんの唄声が心にしみこんできました。

この唄を聞く度に、「いつか見返してやるんだ」と、納品の帰り道を、涙をぬぐいながら真っ直ぐ前を見つめて車を運転していた当時の気持ちを鮮明に思い出します。


そうした努力を積み重ねる中から、少しづつ事業内容も半導体製造装置、医療分析機器分野へとシフトさせて行くことができました。

今、当時を振り返ってみると目標や夢を持って必死で努力した時期が、大阪製作所にとって第2創業期だったのだな、事業の転換時期だったんだなって気が付きます。

まわりの人や、従業員の中にも「仕事も出来ない2代目息子がなに夢みたいな事を言ってるねん」と馬鹿にされていた、あのときこそが人生のターニングポイントだったのです。

私の場合、ターニングポイントにさしかかっている時に

 目標を持って、人に何を言われようとも自分の未来を信じ頑張れた事
 
 勉強をする事、本を読むことから始めた事

 先ほどの言葉とは矛盾するようですが人との出会いを大切にして、
 人の意見に耳を傾ける事ができた事

そんな事が良かったのかなって感じています。

    奴がブーツのボタンをはずしていようと
    奴が他人の生きざま馬鹿にしようとも

     一歩前のこの道を 行かなければ
    だって僕は僕を失う為に 生きてきたんじゃない


収録の様子は5/29(土)12:30〜放送の「ラジオ八尾学講座」で放送されます。


2004年5月13日(木)
”チャンス”は自分のすぐそばにある!今はただそれが自分に見えていないだけ

八尾市のコミュニテイー放送の「FMちゃお」での収録後半部分です。


『町工場のオヤジぃ』の会社は、現在「第3次創業期」として「更なる微細 微小 精密加工技術分野への進出」を目指して暗中模索で進んでいます。

将来の会社の姿が、今はまだ見えていなくて、正直不安でいっぱいな時もあります、
だけど『町工場のオヤジぃ』は自分の在る体験から信じていることが在ります

それは
”チャンス”は自分のすぐそばにある! 今はただそれが自分に見えていないだけ。

と言うことなのです。

その体験談を、「FMちゃお」の番組の中でお話をしました


『町工場のオヤジぃ』は中学、高校、大学と卓球をやっていました。

大阪製作所の地元八尾市には子供服で有名なミキハウスがあり、そこに女子高生卓球プロとして有名な福原 愛ちゃんも所属しています。

彼女も小さい頃から卓球が強くなりたくて一所懸命頑張っているようだけど、実は『町工場のオヤジぃ』も、卓球が好きで強くなりたかった少年でした。

高校の時に近畿大会などでちょっぴり成果を出すことができたので、大学は卓球界では名門の愛知工業大学へ進学することができました。

日本選手権でランクに入るような、世界選手権に出場するような選手になりたいと言うのが『町工場のオヤジぃ』の夢でしたので、卓球で名門の大学に入れて本当にその夢に一歩ずつ近づいて行けてるようで嬉しかった事を覚えています。

結構、練習もやったので大学2年生ぐらいまでは順調に強くなって、同期の中でも1番か2番くらいの強さになっていきました。

でも・・・

結局、自己流での練習しかしていないかった事と、自分の弱点を補うことを中心に練習をしてしまったことで、3年生以降は全く伸びませんでした、夢を持って卓球をしていたのに後の2年間は、その夢が実現できないことを再確認して過ごす地獄のような毎日で本当に苦しかったことを覚えています。

何度も、「もう止めて帰りたい」って考えました。

4年生の春のリーグ戦が終わり、監督から「4年生のみんなご苦労様でした、明日からは練習に来なくて良いよ」って言われたとき、涙が自然に出てきました。

これまでのことが脳裏をよぎりました、「やるだけのことはやったんだ・・・」
結果は出せなかったけど一所懸命やった事に悔いは有りませんでした。

そして「今、もし、”死ねっ”て言われたら死ねるなぁ」って感じた事を鮮明に覚えています。

『町工場のオヤジぃ』は、卓球では自分の夢を実現することはできませんでした。

でも、大学を卒業してから2年ほどして、なんと『町工場のオヤジぃ』の同級生だった金島君が全日本選手権のダブルスの部で優勝をしたニュースを聞いたのでした。

自分の事のように嬉しかった。 けど・・・、正直、ちょっぴりの羨ましくも感じました。

だって、大学2年生までは『町工場のオヤジぃ』は金島君には何度も勝っていたのです。

今振り返ると、夢を実現できなかった『町工場のオヤジぃ』にも、実は”チャンス”はすぐそばに来ていたのです!

自分の回りにある ”それ” に気づかず、”チャンス”を掴めなかっただけのことだったのです。


自分の夢に向かって努力をしているときや、まだ暗中模索で進んでいるときには、自分の回りに在る”チャンス”が見えていないことが在ります。

苦しみもがいているときには、自分ではなかなか気づかないかも知れませんが、夢を実現させる ”チャンス” が自分のすぐ近くに来ていることが在るのです。


現在、『町工場のオヤジぃ』も会社の「第3次創業期」として「微細 微小 精密加工技術」に挑戦し暗中模索で悩みながら進んでいます。

今は、『町工場のオヤジぃ』には、何がきっかけでこの夢を実現させることができるのかは見えていません。

だけど・・・、そんな今だからこそ  「だいじょうぶ、努力をしていれば”チャンス”はすぐ近くまで来ているんだ、自分の回りにある ”それ” を探しだせば良いんだ・・・」と信じて頑張っていこうと考えています。



若い貴方が、もし自分の目標に向かって、今苦しみながら進んでいる途中であるとしたら、もう一度回りを見つめなおしてみてください ”チャンス”は自分のすぐそばに在ります。

今はただそれが自分に見えていないだけなのかも知れないからです。
そして、一所懸命に努力をしましょう。

今は、自分自身ではその夢が見えていないとしても、努力を続ける中で、ふとしたきっかけで夢を実現できる”チャンス”をつかむに違い有りません。

でも・・・、今はそれに貴方自身が ”それ” に気づいていないだけなのです。


また、たとえ貴方が夢に挑戦して破れたとしても・・・

若い貴方ならきっとその貴重な経験が、自分自身の新しい夢の実現のため、また、今後の人生にとっても、大いに役立つ事は間違い在りません。

そういう意味で若いときの失敗はけっして失敗ではありません。

だから、若い皆さんは失敗を恐れずに、それぞれの夢を持って進んでもらいたいと思っています。


     夢を持ち、失敗を恐れず進んで行こう
       
     途中で道を失い、自分が見えなくなった時
       そんな時こそもう一度、回りを、自分自身を見つめよう
  
      ”チャンス”は自分のすぐそばにある! 
         今はただそれが自分に見えていないだけなんだから


収録の様子は5/29(土)12:30〜放送の「ラジオ八尾学講座」で放送されます。


2004年5月2日(日)
『町工場のオヤジぃ』がラジオ出演!?

今年の2月頃だったろうか?、突然いつもお世話になっている八尾市さんから
電話があった。

「もしもし、『町工場のオヤジぃ』さんでしょうか? 
お忙しいところすいません。突然ですが「やおコミュニテイー放送の
「FMちゃお」って知ってはりますか?」

「はい、知ってはいますが・・・」

「それは良かった! 今度八尾市内の事業所さんを取り上げるコーナーができ
まして大阪製作所さんをご紹介しておきましたので、もし連絡在ればお願いし
ます、会社のことを少ししゃべって頂けたらと思ってます」

「わっわかりました」

という簡単なやりとりで出演をOKしてしまいました(^^;;;

先日、担当パーソナリテイーの後藤しのぶさんから直接お電話を頂いた。

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  『町工場のオヤジぃ』の名前が「後藤 良一」だから
  「後藤 しのぶ」さんは 『町工場 しのぶ』さんだなってこちらで勝手
  に『町工場しのぶ』さんと心の中でお名前を付けて応対させて頂いた。
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『町工場しのぶ』さん
「番組の趣旨はですね、日本は今戦後最大の不景気だと思います。
しかし、こんな時代でも全力で不況に立ち向かっている企業がたくさんあります。

今期のラジオ八尾学講座では、地元の元気な企業の社長さんに、会社の紹介を
頂く事で、不況脱出のヒントを伺おうと思っています。」

『町工場のオヤジぃ』
「わっわかりました・・・」

『町工場しのぶ』さん
「収録日は5月12日ですが、よろしいでしょうか?」

『町工場のオヤジぃ』
「はい・・・」

『町工場しのぶ』さん
「ところで社長様ご自身の事も、お伺いしようと思いますが、趣味を伺っても
よろしいでしょうか?」

『町工場のオヤジぃ』
「はっ? 趣味・・・」

『町工場しのぶ』さん
「ゴルフとか、ご旅行とか、社長様でしたらなにかこだわりをもたれている
モノも多いと思いますので・・」

『町工場のオヤジぃ』
「・・・趣味は、え〜と、シュミは仕事です・・・(沈黙)」

『町工場しのぶ』さん
「・・・・・・(しばし沈黙)」


さてどうなる?『町工場のオヤジぃ』最大のピンチ到来か!?

(放送収録日まで後、10日)

FMちゃお
ラジオ八尾学講座とパーソナリテイー 後藤しのぶ さん


2004年4月24日(土)
エミダスホームページ大賞への想い

  実は『町工場のオヤジぃ』には、この「エミダスホームページ大賞」には特別の想いがある。

  3年前に日本で初めての中小製造業者のためのホームページコンテストがNCネットワーク社によって開催さ
  れ、その「エミダスホームページ大賞」の第1回、第2回の審査委員長をされていたのが三石玲子さんだった

  『町工場のオヤジぃ』のホームページも、入賞ぐらいするだろうと思っていたのに一年目は予選すら
  通過しなかった。

  とっても悔しかった・・・

  その三石さんの突然の訃報を聞いたのが、昨年の7月5日の事だった。

−−「売れるサイト目指して」より抜粋−−

2003年7月4日 三石玲子さん永眠、心よりご冥福お祈りいたします。

「心から感謝と哀悼の意を捧げます」 

”時に厳しく、、時に面白おかしく、そしていつでもやさしく、インターネットの可能性について、
私たちの目を開かせてくださった三石さん。
いつまでもお元気で「日本ネット文明のあけぼの」を見守ってくださるものと思っておりました。
在りし日の楽しいお話を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。” 
                                         よせがき発起人 久米信行




久米さんの呼びかけの「よせがき」に、わたしも書き込みをさせて頂きました。


”突然の訃報にただただ驚いています。
三石さまとは、一昨年、有限会社ふぁーすと・らぼの村上肇さまから滋賀で開かれたイベントでご紹介頂きました。

最近では、製造業のポータルサイトでのWebサイトコンテスト審査委員長として厳しく、また温かい目で、
まだノウハウの確立されていない製造業のWebサイトの在り方をご指摘、指導頂いていましたね。

来年は、私の製造業Webサイトも、三石さまからのご講評頂きたいと思っていた所でした・・・

こころより、ご冥福をお祈り申し上げます。”
                                           有限会社大阪製作所 後藤良一



BtoBビジネスにおける「下請け型製造業」のWebサイトのあり方はまだそのノウハウが確立されていないと感じています。
私のサイトも試行錯誤の連続です。

でも一つの指針として日頃から参考にさせて頂いているものがありました。
それが三石玲子さんのコラムです。
http://www.m-m.co.jp/
http://www.m-m.co.jp/report/reportA137.html

三石さんのコラムは、厳しくもありながら、その鋭い視線に感心し、時には賛同し、時には反発しながら読ませて頂いていました。
そして、いつしか、三石さんの意見を意識しながらサイトの構築をしている自分に気づいていました。

わたしが考えた「下請け型製造業のWebサイト」を作って、製造業のWebサイトコンテストで、三石さんをうならせて見せよう!

それが来年の私の目標だったのに・・・・               合掌


  あれから8ヶ月・・・
  「2004年エミダスホームページ大賞」に『町工場のオヤジぃ』も応募することにした。

−−2004年3月30日『町工場のオヤジぃ』の独り言より−−

昨年の7月4日に三石玲子さんが他界されました。

三石さんは日本のインターネットビジネスの創設期からBtoCビジネスやBtoBビジネスのネットビジネスに対して時には辛辣に、時には愛情を込めて評価、応援をされていた。

一度滋賀県であったイベントでお名刺を交換させて頂いていた。

背が高くて、細身で、パンツ姿に片手をポケットにつっこんでたたずむ姿がかっこよかった。

三石さんのコラムを読ませて頂いくうち、是非私のHPのあり方についても評価頂きたくて、製造業のポータルサイトであるNCネットワーク主催の「製造業のホームページコンテスト エミダスホームページ大賞」に一昨年に初めて応募した。

ところが・・・箸にも棒にも掛からなかった。

「社長等のキャラクターを前面に出す例もまだ目立つが、これはBtoCの世界ではすっかり陳腐化したノウハウだ」
                  三石玲子

正直悔しかった・・・。

昨年は、応募をしないでじっくりと評価の対象になっているHPを観察することから初めた。

そして今年は、ユーザビリテイーや情報の質を高めたHPを作った。

しかし、ずいぶん少なくなったとは言え、今だに『町工場のオヤジぃ』のキャラクターはまだ前面に出している。

しかし、これは設計者や購買担当者にプロとしての現場技術者のノウハウを直接伝えるために必要な表現方法だと信じている。

このHPを見せたら三石さんはどんな評価を下すのか?

やっぱり、予選すら通らないのか?

いや、難しい技術情報もわかりやすく説明する情報発信を繰り返す努力が、新しい顧客に選ばれるHPになるはずだ!

そんな三石さんをうならせるためにHPの内容を考えていた矢先の訃報であった。

このHPは、故三石玲子さんに天国から見て頂くために作りました。

ボロクソでも良いから三石さんにご評価頂きたかったです・・・


  もし三石さんが見ておられるとしたらどのような感想をおっしゃるのだろうか?
  また予選も通らないのだろうか?



−−「売れるサイト目指して」より抜粋−−

2004年3月30日
三石さん・・・、NCネットワーク主催の「エミダスホームページ大賞2004」に応募しました。

中小企業のホームページは誰に見せるモノなのでしょうか?
誰に見てもらいたいモノなのでしょう?


中小製造業ホームページの多くが「新規顧客開拓目的」にのみ、そのホームページがデザインされているように感じています。
確かに、中小企業が今後発展していくためには新しい市場創造が不可欠である事は、間違いはありません。

でも・・本当に、それだけで十分なのでしょうか?

”今” 本当に大切にしなければならないのは、多少高価な値段設定をしていても自社の技術と品質を評価・信頼して発注頂いているリピーターの顧客では無いのでしょうか?

そういった本当に大切な顧客にとっても有用なホームページとはどういったものなのでしょうか?

三石さん・・・私がその答えの一つとして、こうではないかと思っているのが、『町工場のオヤジぃ』キャラクターの採用と、トップページの「つれずれ業務日誌」(過去はこちら)のコンテンツ、また、『町工場のオヤジぃ』の独り言コンテンツ社内誌「一粒の種から」コンテンツ です。

新規顧客に対しては、確かに企業としてのブランドを作ってから入っていった方が良いのかも知れません。

でも、中小企業であれば新しい顧客ができてからのフォローの方をもっと大切にしていかねばならないのでは無いでしょうか?

三石さんは、「社長等のキャラクターを前面に出す例もまだ目立つが、これはBtoCの世界ではすっかり陳腐化したノウハウだ」とおっしゃっていましたが、顧客との間にしっかりとした One to One の信頼関係を築いていく事はいつの時代であっても、陳腐化しない普遍の真理だと思います

特に町工場のように 「我々が持っている技能・技術」 を顧客に提供しようとする企業では、「人」を有る程度前面に押し出す事で、「技能・ノウハウ」を販売しているんだという印象を顧客に与えることができるのではないかと考えています。

いかがでしょうか?

「新規顧客獲得に向け、高精度・高品質企業ブランドの構築」 と 「現在のお得意様を大切にする 町工場ブランドの構築」を目指したホームページを心がけていくうちに、今回、応募をしたホームページになりました。

よろしくお願い致します。

  4月22日に一次審査を通過したことをNCネットワークのHPで知った。

  正直、ホッとした。


  今年は一般の方からの投票もあるようだ。

  多くの人の目には、『町工場のオヤジぃ』のホームページはどのように映るのだろうか?
  自社の”技術”や”設備”、いやなによりも”作り手”の想いを伝えることはできているのだろうか?

  もし『町工場のオヤジぃ』に投票頂いて「コメント」を書いて頂けるときは「できていないところ」を指摘して頂け
  たらこれほどうれしいことは無い。

  皆さんの「コメント」を参考にして、挑戦する中小製造業者として日々新たに頑張ってみたい。

  よろしくお願い致します。


2004年4月18日(日)
目標の達成と売り上げ実績の公開

大阪製作所としては2000年から本格的にWebを利用した
営業を模索してきました。

当初の目標は、300万円/月だったのですが昨年頃から
時々ですが、その目標を超え始めてきました。


昨年には、自社製品の販売サイトも立ち上げて行きました。
http://www.work-video.com/

その時に、本業のインターネットからの売り上げと「Work-video」サイト
からの売り上げ合計の目標を 500万円/月 としました。

あれから・・・6ヶ月。

ついに目標金額を超えることが出来ましたのでご報告します。

2004年3月  ¥6、710、400円 なり〜(^_^)v


あんまり嬉しくてついでに「売り上げ実績」も公開してしまいました。(^^;;;;
http://www.osaka-jp.net/8-1webmas.htm


次なる目標は、瞬間風速でも良いから800万円/月です!


2004年4月11日(日)
中小企業の目指す戦略とは?
『町工場のオヤジぃ』は中小企業家同友会の会員でも有るのですが、ここ最近の中小企業としての経営戦略について巧く説明しているな〜って感じた事が有りましたのでご紹介します。


中小企業の進む方向が「NOを言わない中小企業」と「NOが言える中小企業」に分かれて始めている。

すなわち「NOを言わない中小企業」とは、顧客の要求(購買管理費の削減、品質管理費の削減、人的削減、一括受注を含むワンストップサービスに対する要求等)に答えるため、「加工→周辺装置手配→組み立て→検査」など従来の中小企業の範囲を超えた仕事を、ネットワーク化や異業種交流などを利用して複数の企業と協力し合って仕事をこなしていく、「ネットワーク構築型中小企業戦略」のことを言う。

また、「NOが言える中小企業」とは、自社の固有の技術を伸ばし他社にまねできない開発研究を行う、特定の技術を高度化させその特化した技術を中心に他業種からの受注を計る、自社のブランドを構築して差別化戦略をとるなど、技術やサービスの差別化を図りオンリーワンを目指していく、「ブランド構築型中小企業戦略」の事を言う。



どちらも正しい方向かも知れませんが、『町工場のオヤジぃ』の大阪製作所では、「ブランド構築型中小企業戦略」を目指して行きたいって思っています。

貴方ならどちらの戦略をとります?



2004年4月3日(土)
今こそ人材に投資だ!

4月2日付けの日刊工業新聞で小さなコラムに大阪製作所の現在の目標をチョコッと取り上げて頂きました。


-----以下記事から---------


「このほどアルバイトの34歳の職人を社員に登用したが、彼の存在が社内に活気を呼び込んでいる」と語るのは大阪製作所(大阪府八尾市)社長の後藤良一さん。

その職人は運送業を営んでいたが不況の影響を受け、異業種の精密加工業に飛び込んだ。


「若い世代に比べて人生経験が豊富な分、技術を気力でカバーする力はすごい」と驚きの表情を見せる。


「社の将来は、彼をどれだけ短期間で成長させれるかにかかっているといっても過言ではない」と今後も人材への投資を重視する姿勢は変えない様子。

----ここまで------------


最近は、原料や鋼材の価格が高騰するなどインフレの芽が出てきているようですがこの10年間はず〜〜っとデフレ経済でした。

土地が下がり、株が下がり、ほとんどのモノの「価値」が下がって行きました。

『町工場のオヤジぃ』は考えました。

このデフレ経済の中で「価値」の下がらないモノは何だろう?

『町工場のオヤジぃ』の結論は、「若い人材!」でした。

このデフレ下でも、若い人材に投資を行い、技術やノウハウを付けてもらえれば生産性が上がり、付加価値を上げていけ「価値」をあげていくことが可能であると思います。

皆さんはどう思われます?


2004年3月30日(火)
故三石玲子さんにご評価頂きたかった・・・

昨年の7月4日に三石玲子さんが他界されました。

三石さんは日本のインターネットビジネスの創設期からBtoCビジネスやBtoBビジネスのネットビジネスに対して時には辛辣に、時には愛情を込めて評価、応援をされていた。

一度滋賀県であったイベントでお名刺を交換させて頂いていた。

背が高くて、細身で、パンツ姿に片手をポケットにつっこんでたたずむ姿がかっこよかった。

三石さんのコラムを読ませて頂いくうち、是非私のHPのあり方についても評価頂きたくて、製造業のポータルサイトであるNCネットワーク主催の「製造業のホームページコンテスト エミダスホームページ大賞」に一昨年に初めて応募した。

ところが・・・箸にも棒にも掛からなかった。

「社長等のキャラクターを前面に出す例もまだ目立つが、これはBtoCの世界ではすっかり陳腐化したノウハウだ」
                  三石玲子


正直悔しかった・・・。

昨年は、応募をしないでじっくりと評価の対象になっているHPを観察することから初めた。

そして今年は、ユーザビリテイーや情報の質を高めたHPを作った。

しかし、ずいぶん少なくなったとは言え、今だに『町工場のオヤジぃ』のキャラクターはまだ前面に出している。

しかし、これは設計者や購買担当者にプロとしての現場技術者のノウハウを直接伝えるために必要な表現方法だと信じている。

このHPを見せたら三石さんはどんな評価を下すのか?

やっぱり、予選すら通らないのか?

いや、難しい技術情報もわかりやすく説明する情報発信を繰り返す努力が、新しい顧客に選ばれるHPになるはずだ!

そんな三石さんをうならせるためにHPの内容を考えていた矢先の訃報であった。

このHPは、故三石玲子さんに天国から見て頂くために作りました。

ボロクソでも良いから三石さんにご評価頂きたかったです・・・





2004年3月28日(日)
今年も桜が咲きます

大阪製作所の前には大きな桜の木があります
創業以来、大阪製作所と共に春を迎えて来た桜です。

大阪製作所が1959年創業ですから、もう44年間もの長い間一緒に春を迎えた事になります。

でも、今年で限りでその姿が見れなくなるモノが在ります・・・。

それは、創業以来大阪製作所で生産され続けてきた”動力噴霧器”の部品加工です。

昔は父は「西日本の動力噴霧器のこの部品はうちで全部、作ってるんや」と誇らしげに話していたのを思い出します。

この44年間もの間その生産をさせ続けてきたのは私の父と母でした。

今も、実際の生産は、父と母が行っています。

去年のはじめに父が白内障の手術を行い、暮れには母親が少し具合が悪くなって来ています。

現在はの生産量はピーク時の1/20ほどでしか在りませんが、創業以来手がけてきた仕事ですので父と母がなかなか辞めようとはしませんでした。

しかし、このままでは今年中に”突然生産できなくなる”恐れが出てきましたので、社長としてお得意先様に実情を話に行くことになりました。

今年も桜は花を咲かしてくれました。

でも・・・、

大阪製作所の時代と共に歩んできた”ちっぽけな部品加工の生産”が父や母の思い出と共にその幕を閉じようとしています。



2004年2月02日
『町工場のオヤジぃ』の、中小企業はどうすりゃ成功するの!?
− これまでの経営計画と今後の経営計画 について −


*これまでの経営計画行動
(第1次創業期)1959年〜1887年頃
1959年農機具部品製造からスタートした大阪製作所は、「ステンレス・アルミの加工技術」を「核」として精密部品加工事業に乗り出した。

(第2創業期の準備期間)1987年〜1990年
1987年頃からそれまでの「ステンレス・アルミの加工技術」を進化させ伸ばすため、技術開発、加工研究、ノウハウの蓄積を行い、他社との差別化ができる「ステンレス・アルミの精密独自加工技術」へと発展をさせて行った。


(第2創業期)1989年〜2000年
1989年から当時、成長が見込まれていた「半導体製造装置、医療分析機器分野」に目を付け、1990年「ステンレス・アルミの精密独自加工技術」を基に進出、2002月9月期までの10年間で売り上げ比3、5倍と、利益比5倍と大きく伸ばすことに成功した。

(第3創業期の準備期間)2000年〜2002年
従来の半導体製造装置市場、医療分析機器市場がおちこんでいるが、大阪製作所では新たなる事業の創造を目指しつつ、多くの事業の再構築を積極的に進めた結果、大きく売り上げが落ちつつも実質的な決算では5期連続の黒字を確保している。


(第3創業期の一年目)2003年
2003年は、微細・微小・精密加工技術分野の進出を目指した第3次創業の一年目である。2003年6月には、微細精密部品用の計測機器(3次元画像測定器)の導入を行った。

また、経営革新支援法の認定を取得と補助金の交付企業となり、インターネットを利用した「微細作業用ビデオマイクロスコープ」の開発販売を開始し始めた。

大阪製作所の進む方向を「産・官・学」のプロジェクトを利用して模索していく事は、現在クラースターテクノロジー社と共に、京都大学、大阪産業大学、また国の中小企業総合事業団とで「微細金型を使った電子回路作成プロジェクト」=M―FPPに参加している。







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